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バブルの終焉とジュリセン


 東京湾の港区側一体を占める「梶田の芝の浦」芝浦は、中世から重要な港で、戦国時代には小田原北条氏の水軍の拠点でした。江戸時代に入ると漁師町となり、ここで採れた魚は「芝魚」と呼ばれ江戸の名物として一円で回ります。


 そして明治5年、芝浦海岸沿いに東海道線が開通すると海岸線の埋め立てが始まり、新たな町として開発されることとなるのです。

 海外におけるウォーターフロント開発の成功例を参考にして1980年代より日本でも走行外野貨物駅といった古い港湾施設の再開発が注目されいわゆるウォーターフロントブームとなりました。

 土地の転売屋、一代消費ブームが、急激に全体異常ともいえる株価の高騰で沸いた

バブル景気が一気にはじけた1991年。芝浦に空き倉庫を利用してディスコが開店します。ジュリアナ東京です。


 当時、埋立地、倉庫街というイメージだった芝浦を一変させるました。高い天井、表面積1200平方メートルというジュリアナ東京 。

 JR山手線田町駅から徒歩6分ほどの場所にありました。ウオーターフロントで、もてはやされた非日常的な雰囲気、大晦日には5000人を超える若者が詰めかけました。

 ほとんどの男性は、仕事帰りにスーツ姿。トレンディドラマの定番であったゆったりとした女性は、ワンレンボディコン。トサカ前髪ちょっと匂い立つようなファッションでお出かけ。


それは、もう連日、押すな押すなの大盛況。地鳴りのようなサウンドに高い天井から煌びやかな照明がぐるぐると交錯するなか、若者たちがハードコアテクノに体を揺らして踊ります。ちょっと前までは、壁の花だった女性客達がお立ち台の上で腰をくねらせます。

バブルの終焉を告げる徒過の館。狂喜乱舞していたのです。


 

 ジュリアナ東京の名物といえば「ジュリセン」と呼ばれる扇子です。そもそも、あれは何だったのでしょう。



 エアコンが故障した時、暑さ対策に配ったところ、いつからか派手な羽がついた巨大なセンスが持ち込まれるようになり、バブル期を象徴するファッションとなったのです。

 自己を感じながらもそれを認めたくない心情がエネルギーとなって若者たちを躍らせていたのかもしれません。


  しかし、そんな狂喜乱舞も束の間のこと。ジュリアナ東京は、わずか3年で幕を下ろすのです。




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