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#豊明市 #在原業平 #八幡大菩薩

 豊明市は、鎌倉街道東海道の宿駅として発展した歴史ある町です。戦国武将・今川義元が桶狭間の戦いの前夜に滞在した城として知られる沓掛城は、現在は城址公園として整備され、親しまれています。



 その城址公園から歩いてほどない場所に、小さな神社が鎮座していました。鹿島神社です。当時、鹿島神社は川島神社と呼ばれていたそうです。


 平安時代、余多(あまた)の女性と逸話を残した伝説のプレイボーイ・在原業平もこの地を訪れ、しっかりと爪痕を残していました。相見ては心を一つを川島の水の流れて退治とそう思う。


 ここでも業平は、女性との別れを惜しみと歌に読んでいるのです。沓掛という地名も、業平がこの地を訪れた際。宿屋の軒先(のきさき)に藁で編んだ草履、わらぐつがかけてある風景を面白く思い。沓掛と名付けたことが由来とされているのです。


 豊明の街を一望する標高72 M の二村山・鎌倉街道の歌枕となるほど古くから知られた名称でした。よそに道後笹賀上の白露を誰もとにかくいる大村の山。1190年、その後朝廷から征夷大将軍に任ぜられ鎌倉幕府を起こす源頼朝。

 上洛の途中、その想いを歌に残しているのです。二村山の麓に鎮座する馬込八幡社には、水にまつわる不思議な伝説が残っていました。



 昔、厳しい干ばつが5年も続くことがあるなど、当時は度々大凶作大飢饉に見舞われ、多くの命が失われていました。

 ある年の夏も、3ヶ月間雨が入ってきも降りませんでした。村の者たちは、総出で交代で三日三晩、太鼓や笛で雨乞いの祈願をします。


 三日目の夜のことでした、遠くの空から白髪の老人が白い鳥に乗って飛んでくると、八代の上に止まりました。


 「この干ばつは、9月まで続くのだが、このやしろで雨乞いをするとは感心なことだ。」

 「この硯(すずり )に清水を少し汲んできて、私に渡しなさい。」


 村人は、濁り池から北の方角行った場所に、僅かに沸いている清水を見つけ出し、硯に汲んで老人に渡します。

 すると「よく持ってきてくれた。この水を種として雨を降らせよう。私は八幡大菩薩である。」そう言って西の空へと飛んでいきました。


 ここで村人は、夢から覚めました。雨乞いをしていた者たちは、全員いつのまにか眠っていたのでした。しかし、不思議なことに全員が全く同じ夢を見ていました。翌朝、静かに雨が降り出すと、その静かな雨は三日三晩降り続き、村を飢饉から救ったのでした。


 伝説にあるにごり池は豊明市と名古屋市の境にある池で、池の北側には伝説の清水が地名となって残っているのだそうです 。


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