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#福山 #坂本龍馬


 広島県福山市。中でも瀬戸内海に面した鞆の町は、万葉の昔から瀬戸内海の航路の要所を占める港町として栄え、風光明媚な海洋の自然や々な文化遺産を残しています。

 沼隈半島の先端にある鞆の浦は、潮待ちの港として栄えた街でした。鞆の周辺は、紀伊水道、関門海峡、豊後水道からの潮の満ち引きが、ちょうど、境目となる地域で干満の差が大きく、靹の浦は古代から、瀬戸内海の交通塩町の重要な拠点であり、物資の流通の拠点でもあったのです。幕末の動乱期には、鞆の沖合で大事件が起きました。紀州藩の明光丸と坂本龍馬の海援隊のいろは丸が衝突した事故。「いろは丸沈没事件」です。龍馬の海援隊は、五十五万石の紀州藩を相手に、総がかりで賠償の交渉にあたります。



 しかし当時すでに、幕府から命を狙われていた龍馬は、才谷梅太郎という偽名を使います。枡谷清右衛門の家を隠れ家としていました。


 その場所は、長年謎とされていましたが、1989年、地元の有志が、枡谷清右衛門の家の天井調査したところ、一箇所だけ天井がが外れ、当時のまま手付かずの状態で、隠し部屋が発見されたのです。


 鞆の浦を訪ねたのは、初めてのはずなのですが、港の感じだとか、風情ある町、家の町並みだとか、路地の感じだとか、どうしても初めての気がしません。


 夕方、港に面した町家の軒下の日陰を借りぼんやりしていると、「観光ですか」と声をかけられました。笑い皺が印象的な、70代と思われる地元のお母さんです。暑いから大変でしょう。秋口だと気持ちよく回れるんですけどね。庭先の金木犀が香ったりしてね。


 江戸時代各地の港には、常夜灯・雁木波止場で、船番所などの設備がありましたが、鞆の浦には全国で唯一、これらが全て残されています。夕暮れ時になると、あかりの灯る石造りの常夜灯は、港を目指す船と港の人々を160年間見守ってきたとものシンボル。


 雁木と呼ばれる瀬戸内海の干満に合わせて見え隠れする石段が常夜灯の球とから円形劇場のように港をぐるりと包み込んでいます。かつて鞆のお城があった高台の公園に登ると、鞆の港や町並み瀬戸内海に浮かぶ島々が一望できました。

 やはり、どうしても初めて来た気がしない記憶の奥に、ぼんやり残る鞆の風景なのでした。 

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