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#社交ダンス #復活するのか #テレビ草創期 に思う。

 まず、今回の感染症により多大な心労を抱えている方々に、心よりお見舞い申し上げます。


 わが国の歴史上、最高権力者・北条時頼の時代にも、毎年のように異常気象や大地震などの天変地異が相次ぎ、大飢饉・火災・疫病(伝染病)などが続発していました。

 今ほど、医療水準が高いレベルまで発達していないので、元号を変えることで魔除け・厄除けをしていたようです。その風習のためなのでしょうか、元号が変わる前後には、歴史の節目となる出来事が多いようです。

 

 節目と言えば、大衆の娯楽が、ラジオや映画からテレビに変わったころの中村メイコさんの話を耳にしました。

 令和2年(2020)年5月末時点で、86歳にして芸歴実に84年。1940年の「実験放送」にも出演したという、筋金入りのテレビ女優です。


 「実験放送」は、昭和15年に開催予定だった、東京五輪に向けてのテレビジョン研究のための放送で、昭和5年(1930)に始ました(しかし、戦争のため五輪は開催されず、戦況の悪化でテレビジョンの研究も中断することになりました)。


 驚いたのは、実験だからカメラさんも照明さんも、撮影スタッフ全員が白衣を着て、カメラも戦車みたいに大きくて、軍艦と呼ばれていたそうです。そのカメラは、ズームレンズがないから、人間ズーム。『はい、メイコちゃん、寄ってきて』って、自分が動くんです」というスタジオだったようです。笑えますよね。


 まだ、ラジオや映画が全盛のころですから、テレビに対する誤認識もあったようです。映画で、いっしょした高峰秀子さんや沢村貞子さんからは、『あなた、どうしてあんな電気紙芝居みたいなちゃちいものに出るの。やめなさい』といわれたようです。


 でも、なんとなくもう映画じゃない、これからはテレビじゃないかという気がした、そうです。終戦後、昭和25年(1950)からは試験放送が始ました。そこでも中村メイコさんは欠かせない存在になっていました。

 

 日本の社交ダンスの歴史は、追い風の時よりも逆風の時の方が多いような気がします。


 そんな中、草創の世代と継承の世代が、万全の感染症対策をして、痴呆や免疫力増強に効果が有るスポーツだと次世代に認識される行動をすれば、社交ダンスの発展が有るのかなっと思うこのごろです。

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