#燕市 #杭州飯店 #背脂 #ジャンボ餃子 #B級グルメ
- 雪だるま
- 2020年6月18日
- 読了時間: 2分

新潟県燕市は、地域の大部分が新潟平野南部の平坦地で、信濃川の分留・中之口川沿いに市街地が広がっています。地場産業は、世界的に知られる金属加工業。江戸時代の初期信濃川の氾濫に悩まされた農民たちの副業として、枠木作りの始められたのは誇りとされています。
そんな燕市には、繁栄した地場産業がきっかけで、生み出されたご当地グルメがありました。背脂ラーメンです。背脂ラーメンは、昭和30年代の高度成長期、輸出用の金属洋食器製造で忙しい工場から出前が殺到したことから誕生します。その起源・元祖とされるのが、杭州飯店です。初代の店主・徐勝二が現在の杭州飯店の前身である福来亭を開店したのは昭和7年頃でした。

当初は屋台でしたが、その後、駅の近くに店舗を構えると火力の強い料理ができるようになり、お腹を減らした工場の職人たちが一杯だけでも満足できるよう、麺を太くし、スープの味を濃くしていったので、
また、腹持ちも良かったことから、具の一部として、油を振るようにしたところ大評判となったのだそうです。
2代目の勝治さんの頃になると、時代は高度経済成長期の真っ只中。燕市一体の金属加工工場はどこも大忙しで、出前だけで1日800回もの注文があり、一家の工場だけで150杯の注文が入る日もあったそうです。

しかし、そばを作ってから出前先に配達して、さらに職人たちが仕事を済ません食べてもらうまでの間に、おいしく作ったラーメンが伸びてしまうことも少なくありませんでした。そこで勝治さんは、より伸びにくくするため太麺だった面を、さらに太くします。
残業続きの職人の要望により、進化していたラーメンは、暑い工場の中で汗をかいて働く職人たちに合わせ、煮干しなどの魚介類のダシが効いた醤油味の濃いスープに伸びにくく腹持ちのいい極太麵となり、さらに背脂でスープを覆うことで冷めにくくもなり、出前直後に食べられない職人たちを喜ばせたのです。
関東甲信越が梅雨入りした日の夕方、杭州飯店を訪ねると、店内の壁は、そうそうたる番組やタレントさんの名前が記されたサイン色紙でいっぱいでした。

出された中華麺は、背脂が振られた醤油味の極太麺に、続いて出てきた頼んだ餃子にびっくりです。
皿に乗った餃子は、おばあちゃんちのおはぎのような大きさです。これなら4つじゃなくて、2つでよかったな。
私を説得してほしかった。2つで十分ですよお嬢さん2つで十分ですよ。わかってくださいよってね。
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