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手塚治虫記念館



 兵庫県宝塚市の市街地を縦断する加古川。左手にそびえ立つ宝塚大劇場。鉄橋渡る阪急電車を眺めながら宝塚大橋を渡ると、ヨーロッパのお城のような建物が見えてきました。手塚治虫記念館です。


  昭和3年、現在の大阪府豊中市で生まれた手塚治虫誕生日が、明治天皇と同じ11月3日であったことから、明治文字を取って治と名付けられました。治が5歳の時、祖父が生前住んでいた宝塚の御殿山に移り住みます。


  近所には、宝塚少女歌劇団のトップスターの家が点在していたり、宝塚という土地柄を示す場所に住んでいたようです。実際幼い頃から母に連れられて、宝塚歌劇をよく見に行っていたようで、それが、リボンの騎士のサファイアなどキャラクター設定につながっていたようです。


 宝塚で暮らしていた頃、治、少年に大きく影響を与えたのは小学校で出会った石原君。という大阪淀屋橋の時計屋の少年でした。昭和12年小学2年生の3学期が終わろうとしていた時、石原君は、治少年を大阪にできた電気科学館に誘います。この電気科学館の目玉だったのが、東洋初のプラネタリウムでした。エルガーの威風堂々が流れる中、広がる満天の星に収め少年の宇宙への興味と想像も広がっていたのです。


 また、手塚漫画の重要な要素の一つとなる昆虫の世界に修を誘ったのも、石原君でした。昆虫図鑑を見せながら、解説する石原君の話を聞いているうちに、興味がふつふつと湧いて行ったのです。

 手塚治虫の長女に虫の字をつけて治虫と書くペンネームが生み出されたのも、この時期。昆虫図鑑に出てくるふん転がしの仲間の虫に、自分の顔が似ているのと、付けた名前なのだそうです。


 手塚治虫記念館には、手塚治虫のファンといえるか様々なことに好奇心旺盛な現役の子供が続々と訪れていました。おじいちゃんに連れて来てもらったんでしょうね。未来の大漫画家さんかもしれません。記念館に入ると等身大フィギュアでしょうか、鉄腕アトムとリボンの騎士のサファイアが出迎えてくれました。ピノコちゃんもいます。

 館内には貴重な展示物は、もちろんたくさんのモニターブースが設置されていました。鉄腕アトムやジャングル大帝、ふしぎなメルモといったテレビアニメから火の鳥ブラックジャックなど劇場公開アニメも鑑賞することができるのだそうです。

 やっぱり、夏休みになると毎年のように再放送されていて、海へのロマンを掻き立てられたあの作品が沢山あります。



# 腕アトム


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