工学部から医学部へ
- 雪だるま
- 2020年5月6日
- 読了時間: 3分
1977年、大阪府生まれ。兵庫県神戸市育ち。少年時代は、ロボットコンテストやソーラーカーの開発に憧れ高等専門学校で電気工学を学んでいました。
ところが、17歳の時、阪神淡路大震災により、被災者を救助する医師たちを見て工学部志望から一転、医学の道を目指します。医科大学4年の時、中国で感染症のポリオ撲滅するプロジェクトに参加。
そこで、感染症の流行を数式を使って予測する手法と出会い、医科大学を卒業するとイギリス、ドイツ、オランダ、香港と10年間海外を渡り歩いて、感染症を予測する数理モデルを研究しました。

皆さんこんにちは。今日は、埼玉県久喜市でマラソン大会があって、それに出場するために関東地方にいらっしゃったんで、それはいいチャンスじゃんつってお呼びすることになりました。
最近ダイエットをしました。この半年ぐらいで、ちょっと体重をを40キロぐらい落しました。もちろん、専門のパーソナルトレーナーの人についてもらったんですけど、炭水化物を減らしてタンパク質中心のご飯にして、食事を交えながら走る運動を続けると効率的に体重は減るんです。
ご自身も体を鍛え、精神も鍛えてるわけですけど、それはお仕事に結びついているのですね。今日の話が、たどりつきたいですね。
幼いころの興味は、ロボットだったんですが『ロボットコンテスト』あれを見て、その方面に行きたい。やっぱり、ロボコンの影響は相当大きかったです。
NHKが、毎年やってるものなんですね。それを16歳の年齢からできるっていうのは、中学生にとっても憧れますね。中学生からいうと普通の高校に進むと、もうなんていうか受験勉強の毎日が待っていそうだな。というのが見えるのと高専に進むと16歳から工学部のような生活ができて、自分でいろんなものを設計して作って、それをコンテストに出して競える。ロボコンもそうですし、ソーラーカーとか、魅力的なものが高専には有りました。
しかし、高専に入って2年目に阪神淡路大震災は起こりました。自衛隊や救助隊が他県からも来ました。その救助隊の活動を見て人生変わったんです。
防衛医大の卒業した人たちが、潰れた家の中に匍匐(ほふく)前進に入っていて、引っ張って人を助けてくるんですよね。治療法がない中でも、できることをやってるっていうのを見たり、救える命があればどこまでも行くNGOのAMDAの人たちが、避難所避難所に自分たちのブースを作って、本当にお薬とかもないんですけど、自分たちの出来ることをして、診察を続けて行って、トリアージっていうんですけど、患者の重症度に基づいて、治療の優先度を決定して選別を行うんです。その、一人一人重症であったりとか治療で分ける専門性をやっぱり凄いなぁと思わされてしまいました。
本当に電気止まったけど、いろいろ電気の専門家のやることもあるんですけど、単純に影響を受けてしまった。道を変えるしかないなって思って、いろんな影響を受けた年でした。
うむー、西浦博さん。型物か?
つづく
基
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