#小夜の中山 #ポップコン #あみん
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掛川駅からタクシーで、およそ15分。ここには、かつて、フォークソングニューミュージックの聖地と呼ばれた場所があります。70年代から80年代まで、ポピュラーソングコンテスト受賞ポップコンの会場として、使われた『つま恋』は、静岡県掛川市の施設なので、掛川市の「つま恋」は地名ではありません。
正式な住所は、満ちた水深くたまりという満水(たまりみず)地域になります。つま恋の名付け親は、当時ヤマハの社長だった川上源一でした。里山の地形を生かした新しいリゾート施設の名称を考えていたところ、
「日にする小夜の中山さ夜中に鹿ぞ鳴くなる妻や婚式」
この歌は、公家で家人の橘為仲が小夜の中山です。宿のとこについている時、山中に響く鹿の鳴き声を聞いて京都に残した妻を思って読んでもので恋しい妻を思うこの歌にちなんで、つま恋と名付けたのだそうです。
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また、エキジビションホールでは、ポップコンの本選が行われ、新人アーティストの登竜門と言われました。74年から86年までの間に、中島みゆき、長渕剛、佐野元春、世良公則&ツイストなど早々たるアーティストたちが巣立っていたのです。
ポップコンから生まれたヒット曲と言うと、あみんの待つわが出てくる方も多いことでしょう。名古屋の椙山女学園大学の女子大生だったあみんの二人は、1981年、『琥珀色の想い出』でポップコンに出場しますが、中部北陸大会で優秀曲賞受賞するもののグランプリどころか、本選会すら進めませんでした。
同じグランプリを受賞したのは、同じ名古屋の大学生グループによるこの名曲でした。完全無欠のロックンローラーでデビューしています。翌年の1980年春、あみんは、『待つわ』を引っさげ出場し、つま恋本戦に進出。見事グランプリを獲得するのです。
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掛川市には、つま恋神社があります。遠江国一の宮「事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)」より分霊された神様をお祀りしています。事任八幡宮は全国的に有名なパワースポットで「言葉のままに願いが叶う」神社と言われています。
あみんの二人が、この神社に参拝したかどうかはわかりませんが、まさに松輪の言霊が掴んだ栄光と言えるでしょう