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#将軍綱吉 #石井ふく子 #タイムキーパー


 大正15年(1926)、世界で初めてブラウン管に「イ」の文字を映し出すことに成功し たのは、日本人・高柳健次郎でした。

 昭和15年(1940)に予定されていた東京オリンピ ックの放送を目指して実験、試験が続くが、第二次世界大戦によりオリンピックは幻となりました。


 戦後の混乱を経て、昭和28年(1953)2月1日、ついにNHKで日本初の本放送が始まりました。「電気紙芝居」と馬鹿にされながらも、着実に国民生活に浸透し、やがて到来するテレビの黄金期。今ではBS、CSと展開され、インターネットテレビなどで受信番組の幅が広がり、YouTubeなどの動画投稿サイトにより、発信する時代へとなっています。


 誰も見たことがなかったニューメディア「テレビ」の荒野を開拓し、バラエ ティに富んだ名番組という実りを育てた人。女性プロデューサーの草分け的存在、石井ふく子の歩み考えてみたいです。


 1950年代から、プロデューサーとしてテレビの第一線で活躍し、数々の名番組を手がけてきた石井ふく子女史。

 近年も、泉ピン子らによる 『渡る世間は鬼ばかり』 が放送され、好評を博しました。


 NHKで日本初のテレビジョン本放送が始まった約半年後の昭和28年8月26日には、 日本テレビが最初の民放テレビ局として開局している。TBSラジオは昭和26年(195 1)に開局、TBSテレビは昭和30年(1955)の開局です。

 とはいえ、昭和28年に発売されたシャープの量産第一号テレビの価格は17万5千円 (当時の国家公務員大卒初任給は7,650円)。庶民の身近な娯楽は、まだまだ映画であり、 ラジオであった。ラジオドラマも人気で、『人情夜話』にも芥川比呂志ら名優が出演し、人気 を集めていた。「TBSの社屋は赤坂にあって、もちろん、今はどりっぱじゃありません。テレビはその中の Gスタでは音楽番組をやって、Cスタではドラマをやってと、スタジオを使い分けていました。


 「準備万端整った」と思っても生放送が始まると、ハプニングの連続でした。「『お犬さま係』の時は、白い犬が必要で手配してもらったら、本番直前に届いた犬がスピッツでした。白ければいいってもんじゃない(笑)。

 将軍綱吉の時代の話ですから、なんとか日 本犬に見せないといけないと、化粧さんとはさみで毛を短く切りました。間に合ったと思って、ふと見たら、犬の鼻がピンクなんです。急いで黒く塗って間に合わせたら、本番中になめちゃ って......。局に電話がいっぱい かかってきました。


 また、『鳴門秘帖』というドラマでは、追われる 密使が密書を投げるシーンだったのに、懐に密書を入れ忘れてた。困ったと思って探ったら、 当時はギャラが放送前に手渡しだったので、その封筒を投げちゃった。この程度のことは日常でしたね(笑)」

 中でも大変だったのが、放送時間にきっちり番組を終わらせるタイムキープだ。 「当時はタイムキーパーという仕事はありませんでした。CMも中CMというのはなくて、ド ラマでも最初と最後に生CMをするだけ。だから本番の時には、俳優さんとCMタレントさん が現場にいるんです。


 長谷川伸先生原作の『子を取ろ子取ろ』というドラマでは、最後に数分、 時間が余ってしまった。

 主役は歌舞伎の市川中車さんという方でしたが、『もう少し子どもた ちと走って持たせてください』と言われて、ずーっと駆けていたけど、『もう無理』と大八車 にひっくり返っちゃって。あとは子どもをぐるぐる走り回らせてエンディングにしました。


 生放送からVTRになっても大変でしたよ。当時は編集ができないから、とにかく最初から最後 まで撮りきるのが鉄則。あと3分、というところでNGが出て、頭から撮り直しになって夜中まで......なんてこともありましたから」

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