大谷米太郎と人間の証明
赤坂見附の駅前から、首都高の高架が交差する紀尾井町の空を見上げると映画で見たことのあるストローハットの建物が見えます。
「母さん僕のあの帽子どうしたんでしょうねえ、夏、碓氷から霧降へ行く道で谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。」
西条八十の詩が、印象的な1977年に公開された映画『人間の証明』では、ホテルニューオータニのガーデンタワーが事件の鍵となりました。
およそ2万坪のホテルの敷地は、幕末までは井伊家の中屋敷として使用したという由緒ある土地でした。第二次大戦後、外国人の手に渡ろうとしていました。
「由緒ある土地を外国に売り渡すのは惜しい」そう言って、買取し自身の邸宅としたのが、巨大財閥を指揮していた大谷米太郎でした。
そして、政府の依頼に応じ東京オリンピックのため栃木ホテルニューオータニを建設したのです。
大谷米太郎は、バイタリティに溢れた人物でした。富山から東京に出てくると大相撲の力士となります。手の指に障害を負っていたことから、志半ばで引退します。しかし、挫折も束の間、その後、酒屋を立ち上げるとそれが大当たり。1919年には、鉄鋼圧延用のロールを作る製作所起業して大都市をされるまでになり、日本の三大億万長者と言われた人物なのです。
ホテルニューオータニの敷地には、江戸の風情を残す。回遊式の日本庭園があります。4万平方メートルの広大な庭園には、自然の脇肉が出ており、およそ350匹もの鯉が泳ぐ池や6 M もの落差のある滝が堪能できます。
美しい日本庭園を見下ろす本館は、開業当時日本最高層と言われた17階の建築物。最上階の回転ラウンジは、戦艦大和の主砲塔の回転技術が応用され、直径45 M は東洋一と謳われます。残念ながら現在は回転していません。今でもニューオータニのシンボルとなっているのです。
ホテルニューオータニの本館と美しい日本庭園は、世界的に大ヒットしたある映画に登場しています。1967年公開『007は二度死ぬ』と本館の建物はスペクターの拠点の一つ大里化学として日本庭園ではショーンコネリーになってきと格闘を繰り広げていました。
大里化学を脱出したジェームスボンドは、トヨタ2000 GT に乗り、赤坂にある氷川神社周辺の住宅街へ。代々木第一体育館を背景にカーチェイスを繰り広げますが、今とさほど変わらない東京の街並みに驚きます。
夏には、蛍が飛び交うホテルニューオータニの庭園は都心にありながら、清冽な水音と日本情緒に浸ることができる安らぎの場所なのです。
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