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叩き起こす、叩き起こされる の意味

叩き起こす、叩き起こされる


北海道網走市網走と言うと刑務所がある街というイメージの方も多いことでしょう。


 ロシアの新興危惧した明治政府が、北の大地の早急な開墾と北海道貫く道路の必要性に迫られます。

 明治12年、入植に先立って多くの囚人が北海道に移送されました。原生林に覆われた大地を切り開く工事は、大変な労働力と多額の費用を必要としたことから、明治政府は囚人たちを労働力として使役させたのでした。

 開拓がスムーズに運ぶよう釧路道路と中央道路を開くため明治23年網走刑務所が作られ、釧路の収容所から囚人たちが派遣されました。囚人と言っても、政府と対立した物資種族や自由民権運動に関わったインテリ思想政治犯などがほとんどでした。


  現代の法律では、罪に問われないような人々が思想犯として逮捕され、開拓のために北海道に移送される。彼ら自身の労働によって、同内に収容施設が次々と作られます。網走刑務所のその中の一つだったのです。気候も厳しく、ヒグマが行き来す。未開の密林に北海道貫く道路を切り開く大工事は、1400人の囚人によって始められました。

鎖で繋がれた囚人達が、全て手作業で開拓作業を行ったのです。工事は網走から北見峠までおよそ160 km の道路を雪解けの4月から積雪で作業ができなくなる12月までに完成させるという無謀な計画でした。


 深夜に及ぶ過酷な労働に加え満足なね食事もない劣悪な環境で、囚人たちは一本の丸太を枕にして寝かされ、夜が明けると看守はその丸太の端をこん棒で叩いて一斉に起こしました。

叩き起こす、叩き起こされるという言葉は、ここから由来していると言われています。



 工事は計画通り着工から、わずか8カ月の12月に完了します。

しかし、作業現場に食料が届かないことも多く、けが人や栄養失調者が続出。死者は200人以上となったと伝えられています。作業に従事した囚人は、もちろん、その中には監視6人も含まれていました。






網走から北見峠を経て旭川に至る全長225 km の中央道路北見道路は、別名囚人道路とも呼ばれています。

 その途中舗装された道路の傍に丁寧に手入れをされた花壇と建ち並ぶ地蔵尊。そして、大きな石碑がありました。

 鎖をつけたまま埋葬された遺骨が発見されたことから、鎖塚と呼ばれているのです。

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