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南極と野球(・・?

 JR 田町駅の東口を出て東京湾に向かって、まっすぐ伸びる道を通り沿いに林立するタワーマンションや穏やかで滑るように通過するモノレールを眺めながら、のんびり歩くこと15分。広い砂場とその中に浮かぶ大きな船の遊具が印象的な公園にたどり着きました。東京都港区芝浦の埠頭公園です。


 公園の入り口には南極探検発祥の地の記念碑が建てられています



 明治43年11月29日日本最初の南極探検隊として陸軍中尉白瀬信らを乗せた木造の帆船・開南丸が芝浦ふ頭を出港。

 明治45年1月16日ついに南極大陸に上陸します。翌日には、イギリスのロバートスコットが南極点に到達しますが、悪天候の為、白瀬らは南極点到達は断念し、学術調査と領土の確保を目指しました。

 そして6月20日全員無事に芝浦に寄港します。この偉業を記念して、南極探検発祥の地の碑が建てられたのです。

 ここ芝公園は、もう一つあるものの発祥地でした。日本初のプロ野球チームです。日本に伝来した当時の野球は、投手は全て下手投げ。ストライクゾーンは、打者が指定するという、今とは全く違う形で行われていたそうです。明治九年に最初の日米野球が行われ、日本で初めて社会人のクラブチームが誕生したのは、翌年の明治10年でした。


 作ったのは、当時22歳の青年機関車の製造技術を学ぶために渡米し、帰国後、現在の国土交通省の技師となった平岡博です。ちなみに、平岡ひろしは日本で初めてカーブを投げた人物でもあります。この時のクラブチーム新橋アスレチッククラブは、ユニフォームを着てプレーした最初の野球チームでもありました。

 そして大正10年3月、日本運動協会通商芝浦野球協会の本拠地として、埠頭公園付近に芝浦球場が建設されます。日本運動協会は、選手が野球をすることで報酬を得る職業野球を日本で初めて試みたチームでした。

 しかし、2年後の大正12年9月に起きた関東大震災を契機に解散。芝浦球場を閉鎖されることとなるのです。再びプロ野球球団が誕生するのは、11年後のこと。現在の読売巨人軍の前身となる大日本東京野球倶楽部でした。そして、令和2年6月プロ野球、開幕が待ち遠しいのです。


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