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#円谷英二 #スピルバーグ #ゴジラ


 昭和生まれにとって、子供の頃の夏休みの楽しみといえば、近くの映画館で上映される『東宝チャンピオンまつり』だったという方、きっといらっしゃることでしょう。通学路の途中に貼ってあるゴジラのポスターに、ワクワクして駄菓子屋で割引券をもらって、大切にしまっていたはずです。


 ゴジラの生みの親、特撮の神様と言われた円谷英二は、明治34年、現在の福島県須賀川市に生まれます。飛行機乗りになることを夢見ていた英二でしたが、ひょんなきっかけで映画制作の世界に入ります。

 すると、昭和8年、運命的な映画と出会います。アメリカ映画の『キングコング』。特殊撮影は、人間を脇役にしてしまうのか。アイデアマンであった英二は、しだいにその本領を発揮し始めます。



 例えば、火山の噴火の写真を撮る時には、火山のミニチュアを逆さに水槽に沈め、火山の中に牛乳を注ぐ。すると噴火口をから、モヤモヤとした牛乳が、水槽の中に漂い、カメラを逆さにしてこのシーンを撮ると、まるで本物の火山が噴火しているように見えるのです。


 ミニチュアの飛行機を飛ばす場面では、糸が見つからないように、飛行機を逆さに吊って撮影し、画面では、それを上下反転させました。視聴者は、まさか飛行機の下に線があるとは思わないからです。その他にも、現在でも使われ、当たり前となった撮影技術を英二が 開発したものが数多くあるのです。


 円谷英二が亡くなる2年前、アメリカから一人の青年が円谷プロのスタジオふらりと尋ねてきました。映像監督だと名乗ったものの、日本では全く知られていなかった彼は、ワイヤーワークの技術など、円谷にあれこれ質問して帰ったそうです。スティーブン・スピルバーグでした。


 特撮の神様として、世界的に尊敬される円谷英二ですが、その人生は決して順風満帆とは言えませんでした。例えば、円谷英二という名前は本名ではありません。本当の名前は英二ではなく英一でした。人生に挫折し、家業の継ごうと須賀川へ戻った際、長男である自分の代わりに実家の店を継いでくれていた、5歳上の叔父・一郎に遠慮し、英一ではなく英二と名乗ったされています。


 また、特撮の世界に入ったのも、逆境からでした。東宝のカメラマンをしていたときに、ある映画スター俳優を斬新すぎる手法で撮影したため、 B 級作品のカメラマンに格下げされます。



 予算がなく、豪華なセットを作れない、小さなスタジオで仕事をしているうちに、この環境でも、壮大な世界を描ける特撮の研究会とのめり込むこととなったのです。

 思い通りにはならない逆境からの発想が、第一作から70年近く経つ今も、国内海外の一流のクリエイターたちが、新作を作りたがる大怪獣『ゴジラ』を生んだのです。


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