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井原市 道祖渓


井原市(いばらし)は、岡山県南西部にあり広島県に接する市です。隣接する広島県福山市と一体となり福山都市圏を構成しています。

中心市街は、高梁川支流の小田川の流域の平野部に広がっています。小田川沿いの土手は、井原堤と呼ばれ、桜の名所として知られていました。2kmに及ぶ桜並木は、春になると一斉に花をつけ、優美な桜のトンネルができるのだそうです。

市の南は笠岡市に、北は標高200~400メートルの丘陵地帯で吉備高原へと続く。地形的には井原市街地を除いては、ほとんどが山々に囲まれた農山村です。「中国地方の子守唄」発祥の地として知られています。

タクシーの車窓から、綺麗に整備された井原堤の瑞々しい田園風景を眺めていると、ほどなく、今回の目的地である道祖渓に到着しました。道祖神の道祖に渓流渓谷の渓と書いて、道祖渓。小田川の支流・雄神川が、黒い輝緑岩の台地である雄神台と雄宝台の間を深く削ってできた渓谷で、輝緑岩の渓谷は、全国でも珍しいのだそうです。


渓流に沿って作られた急勾配の散策路を登っていくと、末広の滝や稚児の滝、龍門の滝など清冽な瀬音とマイナスイオンに心も体も癒されるのです。

道祖渓を走り落ちる水は、標高200 M の高地に水面が広がる明治池を源流としていました。

明治16年、西原村を中心とした地域一帯を大干ばつが襲います。雄神川の水に水源を頼りにしていた村々は、水不足から大凶作となりました。



これが契機となり、当時県会議員だった三村まさ太郎と西荏原の人々は、干ばつ対策のための巨大なため池を標高200 M の山の上に作り、そこから水を引き、麓の村村へと水を供給するシステムを計画。明治21年工事が始まります。

しかし、当時の掘削工事は、のみを使っての手作業でした。大きな岩をくりぬいて76 M ものトンネルを掘る工事は、一日10cm。人差し指ほどしか進まず、困難を極めます。あまりの過酷さに夜逃げをする職人も出たそうです。

 

 ねをあげた住民から、工事中止の声が出ますが、それでも作業は続行され、明治24年7月2年7ヶ月の年月をかけ、水路が完成したのです。


 明治池からの確実な水源のおかげで西原村や下流の村では、沢山の荒れた畑が、みずみずしい水田へと変わり、米作りが盛んになります。


 その後、明治池の水が道祖渓を通って流れ、訪れる人を魅了する滝もでき、岡山県指定の名景勝地になったのです。


 古来より受け継がれた水の恵みと、その恩恵を広めようとした人々の尽力が、今の井原市の魅力的な水風景を作り上げたのです。


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