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#井原市 #裏白 #ジーパン

 

 この間も鶴瓶さんを福山駅まで乗せたのですけどね。いい人でしたよ。観光ですか(・・?と尋ねられ、

 ラジオの取材で東京から来たんです。と答えると、タクシーの運転士さんが、少し自慢げに話してくれました。


 何でも家族に乾杯の録画に、ここ岡山県井原市で行われたのだそうです。撮影後、急いで新幹線で東京に戻る鶴瓶さんを福山駅まで送っていたのだそうです。

 そういえば、鶴瓶さんと言うとお若い頃は、アフロヘアに丸めがね。そして、オーバーオールがトレードマークでした。


 実は、ここ市内を中心に貫く小田川の清冽な水音を奏でる井原市は、オーバーオールやジーパンに使われるデニム生地の生産で知られる街なのです。

 

 岡山県井原市は、江戸時代中期、綿花の栽培が盛んな町でした。その綿花の農家が、実験用に、または副業として、綿花を原料にして織物を始めると、いつしかそれが評判となり、備中縞と呼ばれる木綿の特産地となっていくのです。

 1650年頃から変化に加えて、藍の栽培が行われるようになると、井原では藍染の織物が盛んになり、さらに明治から大正にかけ、学生服や作業服の生地として大量生産が始まります。その中の一つに裏白と呼ばれていた、表面が藍色、裏面は白い色の織物がありました。

 この日本生まれの裏白こそ、アメリカでデニムと呼ばれていたものと、ほぼ同じで国産デニムのルーツと言われているものなのです。デニムと裏白の共通点は、どちらの蛇よけ虫除けの効果がある藍で染めている作業着であることでした。


 ただし、あのジーンズの老舗ブランド・リーバイスより、井原の裏白製品の方が、200年近くの古いのです。

 終戦後 GHQ によって、アメリカ文化が持ち込まれると、裏白をベースにしたデニム生地の生産が始まります。1970年代には、年間1500円本のジーパンが井原で生産されていました。これは、国内生産量の75%だったのです。


 

 現在、衣料品の大多数は輸入品となっています。しかし、上質な国産デニムには根強いファンが多く、今もその半分以上が、ここ井原市や周辺の地域で作られているのです。

 井原鉄道井原駅の構内には、お土産のデニム生地で作られた様々な商品を並べるショップが入っています。何かお土産になるようなものないかしらと眺めていると、時節柄ですね。デニム生地を使ったマスクが数種類並んでいます。


 最新作は、夏用のクールマスクのこと。井原の街で涼しげなせせらぎを奏でる、小田川の水面のような澄んだ水色のマスクをこの街を訪ねた記念に買っていくことといたしましょう。

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