さだまさし って だれ
本日のゲストさだまさしさんは、1952年生まれ。長崎県出身。現在68歳。1973年に吉田正美さんとフォークデュオグループとしてデビュー。さだまさしさんが、作詞作曲された2nd シングル精霊流しが、大ヒットし日本レコード大賞作詞賞受賞されます。
その後、1976年に、グループは解散し、ソロ活動を開始。これまでに、「関白宣言」や「北の国から」「遥かなる大地より」など数々のヒット曲を生み出してきました。以来、4400回を超える数のコンサートを行ってきたさだまさしさんです。
今、どうしてるんですかって? よく聞かれるんですけども、ここ十年くらい働きづめてきてるでしょ。その休み全部使っちゃってんじゃないかな、と思ってたって感じです。積んである本読んだり、ずっと楽しんでますよ。
僕ね、2015年に『風に立つライオン基金』っていうの作ったんです。最初は、アメリカで頑張ってる日本人のお医者さんとか、あのフィリピンで頑張ってる日本人の教育家とか、そういう人たちを、ささやかに支援するつもりで始めたんですけど、なんかできないのかっていう相談を鎌田實先生なんかとしているうちに、もう、それで手一杯になっちゃった。
医療物資の支援だとか、お医者さんとか看護師さんを小さな介護施設なんかにデリバリーして、安全性の確認とか、万が一のためのレクチャーとをさせて頂いてるんです。最近は、そのスタッフお医者さんとか、みんなでミーティングするのも全部リモートミーティングなんです。
あの「親父の一番長い日」、あんな長い曲は、今までなかったです。あれは、日本で初めての12inchシングルなんです。
あれは、山本直純さんのアイデアです。直純さんが、出た後は「次の曲は何だしてもヒットするからかわいそうなんだよね」っていうのを飲みながら話してそうなったんです。「親父一番長い日」は1年前に書いてありました。それを直純さんと一緒に歌舞伎座でコンサートしてるのをライブレコーディングし2ヵ月後に発売さんですよ。B 面があるじゃない B 面の曲がないじゃないっていったら、「作ればいいよ」と「大きいことはいいものだ」の言葉通り、直純さんは豪快な方でした。
長い曲を出したと思えば、そんな忙しいところに、ピエロの役で、映画に出ました。松山善三先生に直接口説かれて、君にしかいないんだよ。なんて言われて、俺しかいないわけないよなと思いましたが、恥ずかしかったですけどもやりました。
現場は、楽しかったです。そうそうたる顔ぶれにでした。はなはじめさんがサーカス団長役だったです。三木のり平先生に、僕が演出をお願いに行ったっていう設定でお目にかかってるし、米山ママコさんにパントマイムを教わったり。なんせ、相手役が原田美也子さんですからねえ。くすっ
映画『長江』なんですけど、あの映画で失敗したって言われてるけど、利益は出てるんです。少々は利益出ましたが、あの撮影に3班連れて、35 mm フィルムで撮ったので、普通に中国の人たちが、餃子を作る姿や変な漁をする姿など面白かったんですが、経費がかかりすぎました。でも、映像が安定しています。DVDよりもBDで見た方が迫力ありますよ。
おそらく、このころの中国の風景みたいのも残っていないんじゃないかなぁて思います。これは中国の財産になると思います。
また。監督が、あの狭い道を歩いてきてっていうのね。70 M~ 80 M 切り立っている。僕は高所恐怖症だったのに、1 M の幅なかったので、路肩なんてないし、石ころ頃だらけ、そこリュック背負ってね歩いて来いって言うのよ。
だから、僕にとっても宝物です。
あの頃、日本で、暗いだとか何か言われてさ、何でこんなに言われなきゃいけなかったと思いましたよ。暗い暗いのは、山崎ハコや中島みゆきだろって、いつも思っていました。
でも、この映画『長江』で28歳のとき28億円の借金したでしょ。完済に30年かかりました。57歳のとき、銀行に終わったよって言われたので、大阪でパーティーやろうって言ったんですよ完済記念にね。
つづく
#さだまさし #親父の長い一日
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