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軽井沢 旧雨宮邸は雨宮御殿

 

 軽井沢駅を出て、国道18号線を西へ進むと軽井沢町。歴史民俗資料館の傍らに立派な屋敷が見えてきちます。これが、雨宮御殿。軽井沢開発の先駆者雨宮慶次郎の別荘でした。


 山梨県出身の雨宮は、江ノ島電鉄なども創設した鉄道事業化で、明治16年、軽井沢の民有地600ha 官有地500 haを買い取ります。小麦やぶどうの栽培を始めますが失敗。

 しかし暴風のために植林したカラマツは成功し、1年に30万本から5年間で700万本ものから松を軽井沢の家に植栽します。

 以来、北原白秋の落葉松に歌われるように、から松林は、軽井沢の象徴となりました。別荘地として人気の軽井沢の風景は、雨宮慶次郎の功績が大きいとされているのです。

雨宮御殿をさらに西から松林を眺めながら進むと、深い緑に囲まれた人気の名湯に到着します。星野温泉です。大正2年、現在の佐久市で製紙業を営んでいた星野嘉助によってボーリングが行われ、高温の源泉が開発されると、その後、赤岩鉱泉塩壺の湯を買い取った嘉助は星野温泉と改名します。


 

 大正10年、鈴木三重吉が主催する雑誌『赤い鳥』の呼びかけで、芸術・自由教育・夏期講習会が開かれたことなどから、北原白秋、若山牧水、与謝野鉄幹晶子夫妻らが、多くの文人墨客が星野温泉を訪れることとなります。


  中でも、この地に別荘を持つキリスト教徒だった内村鑑三は、星野温泉をこよなく愛し、

 「誠実によりたる信用は最大の財産なりと知るべし」人の目的は金銭を得るにあらず品性を完成するようになど10カ条の成功の秘訣を教えた。


 この精神は、今も星野家に受け継がれているそうです。避暑地軽井沢の名湯として、人々に愛され続けている星野温泉。敷地内にあるトンボの湯は、そんな星野温泉の歴史をくむ源泉掛け流しの立ち寄り湯です。

 すべての浴槽が、源泉かけ流しで循環活水せず、毎日入れ替えているのだそうです。誠実によりたる信用は最大の財産なりと知るべし人の目的は金銭を得るにあらず品性を完成するにあり

今や全国各地に広がるリゾート施設のブランドは、首都圏の避暑地として多くの文人墨客。海外の要人に愛され洗練された軽井沢から始まったのです。

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