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弁慶橋



 かつての千代田城・皇居を取り囲むように広がる東京23区の一つ千代田区。その南西部にある紀尾井町は、江戸時代、紀州徳川家、尾張徳川家、そして、彦根藩井伊家の屋敷があったことから、それぞれの頭文字を取って「きおい」という地名になったとされています。


 千代田区紀尾井町は、江戸時代から続く庭園が今も残され、歴史と文化が色濃く残るエリアなのです。

 平日の早朝4時半、人の気配がしなければ、カラスの鳴き声もしない、赤坂の繁華街。赤坂見附にかかる首都高をくぐると見えるのが、お堀をまたぐ弁慶橋です。




 弁慶橋と聞くと、源義経の家来だった武蔵坊弁慶ゆかりの橋なのかと考えてしまうのですが、弁慶は弁慶でも、江戸城の築城に携わった大工の棟梁・弁慶小左衛門に由来するのだそうです。


 江戸城の外堀は、神田川の水を利用したもので、現在は、清い坂下の食い違い見附で止まっています。しかし、この赤坂見附の弁慶堀は、伊家や紀州家の敷地内にあった湧き水と赤坂御用地を流れる鮫川などいくつかの水を利用してできているのだそうです。


 このお堀の掘削工事は、江戸時代の1600年代前半、弁慶小左衛門が設計し、工事に携わりました。そこから、堂々と佇む水面も弁慶堀。そこにかかる橋を弁慶橋。いつしかそう呼ばれるようになったのです。

 弁慶堀に沿うように赤坂へと下ってくる坂が、紀伊国坂。堀の北側にそびえるホテルニューオータニは、かつて、井伊家の中屋敷があった場所でした。江戸時代を代表する浮世絵師歌川広重は紀国坂から対岸に広がる井伊家の中屋敷。さらに、紀国坂を登ってくる大名行列など弁慶堀の水風景をいくつも描いています。




 また、落語の『のっぺらぼう』や小泉八雲の怪談『むじな』は、弁慶堀と紀伊国坂を舞台としているのです。今は、首都高から見下ろすと美しい水風景。弁慶堀の芸術家の想像力を掻き立てる特別な場所だったのかもしれません。

 そんな弁慶堀の傍で、小泉八雲の怪談『むじな』を披露しようかと思ったのですが、どうやらお時間のようなので、またの機会といたしましょう。




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